「そんなカンタンに好きになれたら苦労しねーよ!」
って思いませんか?
私は思います。
でも結構、レイトン好きさん達はこの基礎となる考え方を繰り返し行っているので、案外カンタンにいけるんじゃないかと思って共有しておきます。
それは、発想の転換です。
絶対の「悪」というものは存在しない
前回、インナーチャイルドを癒すというお話で、「絶対に悪いというものはない」「絶対に良いというものはない」というお話をしました。
例えば殺人でさえ、苦しい介護と貧困の末、同意で行われた殺人がありました。殺したい人間と、殺されたい人間が出会い、同意の元で行われた快楽殺人もありました。これらは広義で自殺ほう助であり、現代の法では罰則に相当するものですが、簡単に他人が「悪である」と断じてはいけないものです。
何故なら、当人同士が納得して行っているので。
どんな人間も、どんな行いも、ダメってことはないんですよ。
自己肯定が高い人は、完璧な聖人君子や、誰も成しえなかったことを達成したような偉人ではなく、「ダメなことはない」って考え方がうまい人のことだったりします。
発想を転換させる
実際に、どうしたらいいか例を示してみましょう。
例えば牧は結構なおせっかい野郎なので、好意を悪意に受け取られてしまうと、「何なんだよこのヤロウ、何でそんなに疑心暗鬼なんだよ!」って、悲しくなってしまうのですが、ちょっとここで落ち着いて見方を変えてみましょう。
他人の好意を簡単には受け取らないって、そんなに悪いこと…?
疑心暗鬼っていうのは、言い換えれば「慎重」ということです。
きっと、簡単にホイホイ人を信じてしまう人間より、騙される回数が極端に少ないと思います。こんな人と組むことができたら、単純な決断をして失敗をすることが減るかもしれません。
見えない出来事を想像することが得意な人だと思うので、先読みの力が備わっている人だと思います。
このように、物事を別の側面から捉えれば、良い側面も見えてくるものなんですよ。
どんな人の嫌いなところも、良いところに思えるようになれば、どんな人と過ごすのも苦痛にならないですし、楽しく過ごせると思いません?
これは自分自身のイヤな部分にも言えます。
例えば優柔不断な人も、言い換えれば思慮深いですし、
発言に尻込みしてしまう人は、心の優しい人です。
自分を傷つけてしまう人は他人を傷つけませんし、
他人に怒れる人は、他人に対しても情熱的な人です。
他人に無関心な人は、自己で完結できる人ですし、
怠惰な人は自分を休めさせる方法を知ってる人で、
せっかちな人は、いつも精力的になれる人です。
この考え方を無意識レベルで行えるようになるには、繰り返し訓練するしかありません。繰り返し繰り返し行うことで、自然とできるようになっていきます。
ナゾトキだって、繰り返し行うことで発想力が柔軟になるんですよ!
他者も自分も肯定する
けして間違ってはいけないのは、他人を肯定することで自分が我慢してはならないということです。
怒鳴ってくる人を「情熱的な人だなあ~」と思えれば気持ちは楽になれますが、嫌なものは嫌だと思えることはとても大事なことです。
嫌なものを嫌だと心から理解するためには、自分自身を大切にしてあげることが不可欠です。
他者を肯定することと自己を肯定すること、これは車軸の両輪のように、バランスをとりながら行わなければ、前進することはできないのです。
そうして、自分も他人も大事にすることができる人同士で初めて、「私、怒鳴られると萎縮してしまうんで、ボリュームを抑えて伝えてほしいんですよね」って意志が伝えられて、「そうか、その通りだよな。感情的に伝えるのは控えるよ」って会話が成立するんですよ。
この自己否定だらけの日本において、そんな会話が成立する人と出会えたなら、めちゃくちゃ大切にしてください。
その人は、自分を大切にする人ですし、あなたを大切にする人です。
願わくば、パートナーにするなら、そんな人がいいと思います。
そしてそんな人の存在に気付くには、自分を大切にすることが不可欠なんです。
ちょっと自分や他人の嫌いなところを、どうやったら良い側面で見られるのか、ナゾトキ感覚でやってみてください。
やればやるほど、それが私達みんなの助けになります。